桜庭じゃないサクラバと俺と桜庭

こちらは某SideMの輝薫二次創作web企画です。

天道が「サクラバカオル」という読みをする名前または
桜庭にそっくりの容姿を持つ別人と知り合って
なんやかんやしたりしなかったりする作品を募集しました。

公式とは一切関係ありません。

るるるあう桜庭、あわない桜庭

輝が夢の中で色々なIf世界線のサクラバカオルに出会う話。
特性上、ある女性から輝への恋愛感情が1シーンだけ存在します(直接的な心情・行動の描写はありません)。

「いらっしゃい」
 玄関ドアを開けて桜庭を出迎えると、ほんの一瞬だけ躊躇うような素振りをした後、「邪魔する」と言った。
 カップとシュガーポットをテーブルに置く。桜庭は角砂糖を一つコーヒーに溶かす。この光景ももう何度目だろう。
「毎度毎度来ておいて何だが、こうして話し合っても無駄だ。僕は君と交際する気はない」
 コーヒーを一口飲むと、桜庭は先手を切るみたいに言い出した。
 数ヶ月前にあった仕事の打ち上げで、珍しく酔っ払った桜庭を俺が介抱した。家のベッドまでまで送り届けて、さて帰るかと踵を返した矢先に桜庭が俺の小指を握った。
「帰らないでくれ」
 ひどく小さな声だった。遠くで電車が走る音がしていた。きっとあと何本かで終電になる。
「なんで」
 いつだってズバズバと物を言う桜庭が聴き逃しそうな声をしていた時点で、なんとなく伝わっていた。それでも確かな言葉が欲しくて、俺は尋ねた。
「なんで俺に帰って欲しくないの」
 桜庭は絞り出すように言った。
「君が好きだからだ」
 そこまでは良かった。
 問題は翌朝からだった。乞われた通り、俺は桜庭が眠るベッドの横で夜を明かした。酒で記憶が飛ばない桜庭は目が覚めて一番に俺を見て、「昨日僕が言ったことは取り消す。忘れろ」と言った。それからというものの、告白を取り消したい桜庭と恋人になりたい俺は予定を合わせて、こうして話し合いをしている。
「俺も毎度毎度言うけどさ、俺のこと好きなんだろ? で、俺も桜庭のことが好き。じゃあ付き合おうぜ?」
「内容の前半は認める。だがあの告白は僕にとっては不本意だった。酩酊状態で正常な判断力に欠けていた場合の契約は無効にできる場合があるだろう」
「そういう判例はあるけどさあ」
 今しているのは契約じゃなくてお付き合いの話だ。桜庭の気持ちを知ってしまった以上、同じ気持ちを持っている俺だって引き下がりたくはない。
「君は軽く考えているだけだ。交際をしたとして、別れた後はどうする。僕達は付き合う付き合わない以前に仕事仲間なんだぞ」
「何で付き合う前から別れた後の心配するんだよ。もし仮に別れたとしても、その後の振る舞い方は俺達の努力次第でどうにでもなるし、そもそも別れねえよ」
「何故そこまで断言できる。第一に僕達は性格が合わないだろう。喧嘩も多い。今はいいが、交際したらそれが別れに発展する可能性は高いだろう」
「俺はこれが最後の恋になるって確信してる。そりゃ喧嘩もするだろうけど、仲直りするための努力もする。だから俺達は別れない」
 桜庭はむっとした顔で一度黙った。
「君が……最後の恋だと、そう確信する根拠は何だ」
 こう言われると困る。
「お前のことが好きだから。ずっと」
 俺は万感の思いを込めて言ったけれど、桜庭は呆れたように息を吐いてカップに口をつけた。
「感情論か。元弁護士が聞いて呆れる」
「突き詰めたら感情になるのは当然だろ。俺達がしてるのは裁判じゃなくて恋なんだからさ」
 桜庭は返事の代わりにコーヒーを飲み干すと、「帰る」と言って立ち上がった。
 これまでも今回も、いつも話し合いはこうやって平行線になって、桜庭が帰って終わる。
 むっつりとした顔で外に出て、桜庭が一言「邪魔をした」と言う。
「……確かに桜庭の言う通り、俺達って本当に合わねえな」
 自分で言ったくせに少し胸が痛んだ。桜庭はもっと傷ついた顔をしていて、俺はすぐに後悔した。

「輝さん? 大丈夫ですか?」
 翼に話しかけられて我に返った。桜庭が帰った後、まだ夕方だったけれど俺は冷蔵庫のビールを開けた。空きっ腹にも関わらず飲んで、寝落ちしたような気がする。そこから今までの半日あまりのことが、ぼんやりとしていて思い出せない。嘘だろ。
「わ、悪い悪い……ちょっとぼーっとしてて」
 周りを見渡すと普段よく使う撮影スタジオだ。見慣れた風景の中にプロデューサーも見つけて少しほっとする。
「疲れてますか? この後は衣装を着てユニットでの撮影だそうですよ」
「そっか。ありがとな」
 再び周りを見渡す。ユニットでの撮影なら当然いるはずのあの姿が見当たらない。
「なあ、桜庭は?」
 俺が聞くと、翼はきょとんとした顔をした。
「え? 桜庭さんですか?」
「ああ」
 翼の呼び方に違和感を覚えながらも頷くと、翼はますます怪訝な顔で首を傾げた。
「桜庭さんなら、お仕事で別の現場だと思いますよ」
「えっ、じゃあユニットの撮影はどうするんだ?」
「オレと輝さんの二人でしますよ。他に誰もいないですし……」
「誰もいない?」
 これまでの翼の発言を咀嚼しながら、俺は少し頭を抱えた。
「……なあ、俺たちのユニットって、その……何人組なんだ?」
 翼は心底心配そうな表情で「輝さん、大丈夫ですか?」と言った。
「本当にお疲れですね。オレ達は二人ユニットのDRAMATIC STARSですよ」
「……」
「……輝さん? ほっぺ抓ってどうしたんですか?」
「いや、本当に痛くないんだなって……」
 神妙に呟く俺を翼は不思議そうに見ていた。
 オレンジと黒を基調としたユニット衣装で翼と二人で並ぶ。デビュー三年の節目に宣材写真の撮り直しをしているのが今日の仕事らしい。
「なあ翼、サクラバについてもうちょっと聞いてもいいか?」
「いいですけど、オレも詳しくはありませんよ。あまりお話ししませんし……」
 その発言だけでも十分に俺の知る『桜庭薫』とは違うことがわかったけれど、それでも翼にこの夢の中のサクラバカオルについて尋ねた。
「事務所に入ったのはオレ達と同じ時期でしたよね。だからデビュー前は何度か基礎レッスンを一緒にしたりしましたけど、桜庭さんは元々ソロでの活動を希望してましたから」
「あー、そういえばそんな事も言ってたよなあ」
 俺が知ってる桜庭も、最初の頃はそんな感じだった。プロデューサーが有無を言わせず俺達とユニットにしたんだけど。この世界のプロデューサーは桜庭の言い分を聞き入れたのかもしれない。
「歌がすごくお上手ですし、元お医者さんだから医療ドラマに出たりもしてますよ。忙しそうで……余計なお世話ですけど、ちゃんと食べてるのかなあって思います」
「あいつ細いよなあ」
「細いですよねえ……」
 手元のスマートフォンで『桜庭薫 出演作』と検索する。デビューからたった三年なのに、歌の仕事も演技の仕事もたくさん並んでいる。倒れかねない量だ。
 この世界の俺は、サクラバにメシを作って食わせることもできないんだろうな、と思った。とんでもなく寂しくなった。

 目が覚める。今度の俺は知らないベッドの上に横たわっていた。どこに置いてあるベッドなのかは一瞬遅れてすぐにわかった。
「天道さん。おはようございます」
「うわっ!!」
 ベッドの周りを囲っているカーテンの間から、白衣姿のサクラバが入ってきたからだ。多分、いや絶対病院だ。
 俺が大声を出したことでサクラバは驚いてたじろいだ。
「ど、どうされましたか」
「いやすみませんこっちの話で……」
 もごもごと言うと、サクラバは困惑しながらも「血圧を測ります」と言った。
 プロデューサーが桜庭をスカウトしなかったら、あいつがスカウトを受けなかったら、こうして医者を続けてるって未来もあったんだろう。俺とはただの医者と患者として出会う。そんな未来。
 でもただの医者にしては桜庭って美人すぎるよな。やっぱりアイドルになるのが正解だよ。そんなことを新鮮な白衣姿を眺めながら考えていたら、サクラバ先生に「血圧がいつもより高いですね」と言われた。

「あの、天道先生?」
 聞き慣れた桜庭の声で、慣れない呼ばれ方をされて意識がはっきりした。また周りを見る。俺が今いるのはかつて世話になっていた弁護士事務所のようだ。はっとしてスーツの襟を見ると、ヒマワリのバッジが光っている。
「っと、すみません。考え事をしていました」
「そうですか」
 目の前にいるのは桜庭薫そっくりの男だけれど、心做しか表情は柔らかめな気がする。手元の書類をざっと見ると、どうやら物損事故の賠償金についての相談のようだ。俺は桜庭が運転している所を見たことがないけれど、この世界では車を持っているらしい。
 医者と患者、弁護士と依頼人。こういう形で出会ったとしたら、きっと喧嘩はしなかったんだろう。それ以前に、俺が桜庭に惚れることも無いのかもしれない。
「それでは先生、よろしくお願いします」
 依頼人のサクラバがほっとした表情で俺に微笑み、会釈をした。物腰が柔らかいのは、俺との関係性が薄いからなのか、それともこの世界の桜庭自身の性格なのか。結構な違和感を覚えながら俺はそんなことを考えた。

「じゃあ、改めて紹介するわね」
 聞き覚えのない声の方を見ると、喫茶店の丸いテーブルを挟んで斜め向かいに、桜庭に似た女性がいた。ほんの一瞬だけ『ここは桜庭が女の子として生まれた世界なのか』と思ったけれど、どうもその女性は桜庭だとは思えなかった。
 女性の視線の先に目を向ける。そっちには正真正銘、俺がよく知る姿の桜庭がいた。もちろん男だ。ただしさっきよりも更に物腰が柔らかそうな、少し幼さも感じる人相をしている。
「私の弟の薫よ」
 女性がサクラバをそう紹介する。この人がサクラバの姉さんなのか、どうりで似ているはずだと納得したのもつかの間、彼女が続けた言葉に度肝を抜かれた。
「それで、この人が私の婚約者の輝くん」
 マジか。思わず声を出しそうになったのを必死で飲み込んだ。
「はじめまして、輝さん」
 サクラバがはにかんで会釈する。こんな表情、演技でもそうそうしない。レアな顔が見られたけれど、どうにも複雑な気分だ。
「はっ、はじめまして! これからよろしくな!」
 声が裏返ったのを聞いてか、サクラバの姉さんが表情を緩めた。
「私達が結婚すると、二人は義理の兄弟になるのね」
「そうだね」
「うわ〜……そうか……」
「そういえば薫、昔お兄ちゃん欲しいって言ってたよね?」
「ちょっ、やめてやそんな子供の頃のこと」
 自然に出てくる西のイントネーション、困ったような笑顔。どれも俺の知っている桜庭からは全く出てこないものだ。
「とにかく、よろしくお願いします」
「お、おう! よろしくな、サクラバ!」
「やだ、なんで苗字で呼ぶのよ」
「あっ、そっか……」
 サクラバはお姉さんと並んでくすくす笑う。その顔がよく似ていた。お姉さんがいたら桜庭ってこんな大人になっていたのかな、と思った。

 何かにぶつかると同時に、ぼやけていた意識がはっきりした。ばさばさと音がした足下を見ると、本が数冊落ちていた。
「すみません、拾います」
「いえ、こちらこそすみません。ぼんやりしてました」
 本屋の通路にしゃがんで落ちたものを拾う黒髪の丸っこい頭。ああ桜庭だな、と思った。
「どうぞ」
 俺の想像通り、桜庭の顔をした男が立ち上がって拾った本を差し出す。そういえば前にもこんなことがあった。あの時はお互いに知らない人だと思ったから、ある意味では他人行儀で丁寧な対応をしたんだった。桜庭は俺の顔を見た瞬間に『まったくどこを見ていた』なんて言っていつもの顰めっ面になったのだけど。
 今目の前にいるサクラバは俺の事を知らないようで、俺の顔を見ても表情は変わらない。
「……ありがとうございます」
「いえ。……あっ」
 サクラバが拾った本の表紙を見て声を出す。
「どうかされましたか?」
「いや、僕も同じ本を買うところだったので」
 ほら、と言ってもう片手に持っていた本を見せる。
「本当だ。……お好きなんですか、この作家」
「ええ。このシリーズ好きなので、続編が出たのが嬉しくて」
 俺が今手に取っている本を桜庭に薦めたことがあったけど、『文体があまり好みでない』と言われたのだった。
 今目の前にいるサクラバと俺が仲良くなったら、同じ作家の本を読んで語り合えるんだろう。

 風を感じてまた辺りを見回した。見慣れた景色だ。ここは事務所の近くの橋の途中。
「この夢、いつになったら覚めるんだ……」
 久しぶりに頬を抓ってみたけれど、やっぱりまだ感触がぼんやりして痛くない。試しに夢の中の事務所に行ってみるかと歩きだした瞬間、向こうから桜庭らしき男がやってきた。
 ツンとしてとっつきにくそうな顔、着いてくるなと言いたげな早歩き。俺の知っている桜庭に似ていて嬉しくなる。
「さ……」
 声をかけようとして止めた。サクラバは俺と目を合わせない。無視してる感じではない。俺の事は背景のひとつみたいに気にもせず、冷たい革靴の足音が俺の横を通り過ぎて行った。
『あのサクラバと俺は他人なんだ』
 そんな憶測がすとんと胸に落ちた瞬間、カッと衝動に駆られて俺は振り向いた。どこかへただ歩いていく後ろ姿を追いかけて、肩を掴んだ。
「サクラバ!」
「えっ……はあ!?」
 俺の方を見たサクラバは驚いている。知らない奴にいきなり肩を掴まれて、何故かそいつは自分の名前を知っているんだ。そりゃそうだよな。
「おい、誰なんだ……名前くらい名乗れ」
「俺の名前は天道輝。知らないよな?」
「ああ知らない。だから……」
「お前はそうでも俺はお前のことを良く知ってる。だって桜庭のことが好きだから!」
 知らない奴に急に告白されたサクラバは目を白黒させているけれど、構わずに続ける。
「俺は桜庭が好きなんだよ! 性格も価値観も本の趣味も全然合わないし、俺にばっかり冷たいけど! でも俺と全然違うのに、俺に出会ってくれた桜庭が好きなんだよ!」
 夢の中で色々なサクラバを見た。俺と接点が薄そうなサクラバも、柔和で気が合って親密になれそうなサクラバも。それでも俺が好きなのはあの桜庭なんだ。お姉さんを亡くして、医者になって、俺や翼と一緒にアイドルになったっていう過去で作られた、あの桜庭が好きなんだ。合わない所ばかりだけれど、それでもいつか同じ関係に辿り着くまで俺は諦めない。
 当然俺の言っていることが意味不明なサクラバは、眉を顰めながら「何なんだ君は!」と叫んだ。その声色と表情が桜庭に似ていて、俺は無性に安心した。

「……おい、おい、天道!」
「ん?」
 目が覚める。俺は自分の家のソファーで寝ていたらしい。目の前には何故か桜庭がいて、俺を揺すっていた。
「こんな所で寝るな。風邪をひく」
「えーっと、桜庭が帰ってから酒飲んで寝落ちして……何でまた桜庭がいるんだ?」
 頬をぺちぺち叩きながら自分の行動を思い返す。どうやら本当に目が覚めたらしい。桜庭は少し詰まって、「忘れ物をしたから戻ってきたんだ」と言った。
「インターホンに出た時の声色からして怪しかったが、まさか寝てしまうほど酒を飲んでいるとは……」
 そうだ。桜庭の言葉で完全に思い出した。
 桜庭が帰った後、俺はなんだか酔っ払いたくなってビールを開けた。それから一時間後のうとうとしてきた頃にインターホンが鳴って、ふわふわしながら出たら何故か桜庭がいたからエントランスを開けて、ついでに部屋の鍵も開けた。エレベーターで上がってくるまでの間に寝ちまったんだろう。
「ほら、水を飲め。落ち着いたらベッドで寝ろ」
「なあ桜庭」
 水の入ったグラスを差し出す桜庭の手に触れる。
「……何だ」
「俺達全然合わねえし、喧嘩もするけどさ、でも俺はお前が好きだよ」
 俺が言うと、桜庭はどこかほっとしたような顔をした。窓の外から見える空は淡い紫色を端っこに残して、ほとんど濃紺に移り変わっている。もう夜だ。
 俺が今、あの日の桜庭みたいに「帰らないで」って言ったらどうするんだろう。でも何となく答えはわかるような気がした。
「あとさ、桜庭」
「何だ」
「忘れ物したのって、嘘だろ?」
 桜庭は小さく息を吐いて、こくりと頷いた。
「君と、もう少し話がしたくて戻った」

春の再会とプラチナリング

輝がサクラバカオルという名の女性の先輩に再会して新たな決意を得る話

・桜庭は本編に登場しません。
・本編の登場人物『桜庭香』は架空の人物です。



俺があの人に出会ったのは、肌寒い空気の中にうららかな陽気がふいに姿をちらりと見せるような、そんな春の始まりかけた頃のことだった。

「……天道君?」
次の仕事まで少し時間があるからと、行きつけのカフェに立ち寄り、カウンター席でメニュー表と睨めっこしながらエスプレッソを頼んだ瞬間、背後から自分の名前を呼ばれた。
芸能人が街中で声をかけられる。そのリスクの高さを身をもって知っている俺の背筋は一瞬にして凍り付いた。
まさか、自分の正体がばれてしまったのだろうか。
変装しているとは言え、天道の変装はマスクとキャップ帽子の簡単なものだし、店内に入るときにどちらも外してしまっていた。別に自分の正体が誰かにバレても不思議ではないだろう。
──でも、もしかすると今後この店には来られなくなるかもしれない。それにしても相手は誰なんだろう。自分たちのファンだろうか、それとも芸能関係者か……?
恐る恐る後ろを振り返れば、天道の想定を遥かに超えた人物の姿が視界に入った。動揺して固まってしまった自分を気遣ってか、その人物は申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
「いえ、決してそんなことは」
「隣、いいかしら」
「勿論です」
天道の左隣のスツールに腰かけた彼女は、顔にかかった長い髪を慣れた手付きで払いのけると、俺に微笑みかけてきた。
「久しぶりね」
「ご無沙汰してます……桜庭先輩」
目の前にいる女性の名前は、桜庭香。
『桜庭香』と書いて、『さくらばかおる』と読む。天道と同じユニットのメンバー桜庭薫と名前の読みは同じだが、決して同性同名という訳ではない。漢字が違うし、目の前にいる彼女は女性なのだから。
彼女は天道の大学で同じゼミに所属していた一つ上の先輩で、所謂『直属の先輩』に当たる人だった。
当時の天道はゼミの活動にも積極的に参加していて、そのゼミ長を務めていた彼女と打ち解けるのにそれほど時間はかからなかった。彼女を含めたゼミの先輩達には、憧れの弁護士を目指して司法試験を受験する自分の相談に乗ってもらったことが何度もある。
最後に会ってから十年近く経つだろう。彼女も天道も同じ分、年を重ねているはずのに、不思議と先輩は変わっていないように感じた。
黒くてストレートのロングヘアも、切れ長の瞳が細められたときに感じられる柔らかさも、思い切りの良い性格も。
こうやって対面してみると、雰囲気が少し桜庭に似ているのかもしれない。
桜庭と初めて会った時点で、先輩と会わなくなってから五年以上経っている訳だから、気づかなかったのは当然と言えるのかもしれないが。
「天道君に会うのは私の大学卒業以来かな。随分と久しぶりだよね、全然変わってない気がするけれど」
「そうだと思います……って! 俺、変わってないですか? これでも髭伸ばしたりして出来るだけ年相応に見えるようにと思ってるんですけど……」
「あはは。そんなにびっくりしなくても大丈夫だよ。天道君が変わってないように感じるのは、私が普段テレビとかで天道君のこと見てるからだと思う。髭伸ばしてるのも、最初はすごく驚いたけど今はすっかり慣れたし」
焦った俺を見かねて、桜庭先輩はからりと笑った。
「そう、ですか」
「そうそう。それにしても天道君、大活躍だねー 少し前に放送してたスペシャルドラマも見たよ」
「本当ですか! ありがとうございます。光栄です」
まさか知人が見てくれていたなんて。少し気恥ずかしさもあるけれど、こうして直接話を聞けるのは有り難いことだった。
「少し話題は変わりますけど、先輩は今日どうしてここに?」
「ああ、クライアントとの待ち合わせ場所がこの近くなんだけど、早く着いてしまったから少し息抜きしようかなと思って」
「なるほど」
相槌を打っている内に、俺の注文していたエスプレッソが届く。すっかり顔馴染みのマスターはどこか嬉しそうな顔で俺に視線を送ってくる。
何を考えているのだろうか。……そういう関係じゃないって。翼とプロデューサーにしか伝えてないけど、俺は桜庭と今付き合ってるし。
桜庭先輩は自分がまだ注文していなかったことに気づいたのか、慌てて「すみません、カプチーノをお願いします」とマスターに伝えた。
先輩の注文したカプチーノが届くまでの時間、何となくカップに手を付けづらくて手を持て余してしまいそうになるけれど、「私に遠慮せず飲んでね」と先手を打たれてしまったので、大人しくカップを手に取って口元まで運ぶ。
うん、いつもと変わらない自分の好きな味だ。
カップの中を揺蕩う琥珀色を眺めていると、隣の先輩が小さく呟いた。
「なんか不思議な気分。こうして天道君に会えるなんて」
「俺もこうして桜庭先輩に再会できてびっくりしてます」
「本当にね。こんな偶然があるんだなと思って……」
彼女は目を細めて微笑む。その姿につられて俺も笑みを返そうとしたら、カプチーノが先輩の前に置かれる。先輩はすぐにカップを手に取って嬉しそうにその液体を口に含んだ。
「美味しいね」
「はい。とても」
目を合わせて笑い合う。先輩とこんな時間を過ごすなんて、学生時代の自分には想像もつかないことだろう。彼女は高嶺の花というイメージが似合う人だったから。
お互い注文の品も届いたし、自分は次の仕事まで一時間弱あるし、さて、何の話題を振るのがいいのだろう。
天道が思案していると、桜庭先輩はゆっくりと口を開いた。
「実はね、天道君がアイドルになったのは結構早い時期から知ってたの」
「いつ頃ですか」
「えーっと、最初の合同ライブがあった頃ぐらいかな」
「そんなに前からですか!」
あまりの衝撃に席から立ち上がりそうになるのを必死で堪える。
「そう。それから、天道君のいるユニットがテレビでもネットでもたくさん目に入るようになって……天道君の頑張っている姿を見てたら、自分も仕事で落ち込んでる場合じゃないぞって思って、前の事務所辞めたの」
「えっ」
思わず開いてしまった口を手で覆った。
先輩は大手の法律事務所に就職したと聞いていたから、その決断はとても大きなものだっただろう。きっと、自分には想像も付かないほどの。
ふと、自分がフリーになった頃のことを思い出して眉間に皺が寄りそうになる。
「勿論、前の事務所での仕事もやりがいはあった。けど、自分が弁護士として守りたいものはまた別にある気がして、このまま事務所にいてもいいのか迷いがあったの。でも、そんな時に出会ったのが天道君だった」
何も言えなくなってしまった俺を一瞥してから、彼女は話を続けた。
「天道君がフリーになったってゼミの同期経由で聞いたときも、私は声をかけてあげることも出来なくて……でも、気づいたら天道君アイドルデビューしててびっくりして、それと同じくらい感動したの。『天道君は自分の進む道にちゃんと向き合っているんだな』って。私はそんな天道君の力強くて真っ直ぐな姿に背中を押してもらった。君のおかげで私は新しい一歩を踏み出せたの、本当にありがとう」
「先輩にそう言っていただけて、すごくうれしいです。転職おめでとうございます」
自分がひとりでも多くの人を笑顔にできて、その人の背中を押して勇気付けられているのなら。こんなにうれしいことは無いだろう。どんなに高低差のある長い道を辿ったとしても、ドラマチックスターズとして活動できていること、アイドル界の一番星を目指している今を自分は誇りに思える。
桜庭先輩は微笑んでから一枚の小さな紙を取り出した。
「ありがとう。よかったら、新しい名刺受け取ってくれる?」
「勿論です、ありがとうございます。すみません、渡せるものが何も無くて」
「全然。寧ろ天道君はその姿が名刺みたいなものだよね。その場に居て何かを振る舞うだけで、貴方の人となりが誰かに伝わるように。当然それだけで相手の全てを知ることはできないけれど、表面上のものは何となく分かるじゃない?」
自分の看板は自分が背負っているのだと、言われた気がして背筋の伸びるような気持ちだった。
先輩の言う通りだ。天道輝というアイドルの名刺は自分自身で、心の中に抱えているものは見せずとも、普段の言動に己の性格は意識せずとも滲み出ているだろうから。
先輩の言葉を噛み締めるように、俺は大きく頷いた。
「本当に、そうですね」
「ふふ。それだけ天道君が影響力のあるアイドルになったってことだと思うよ」
小さく笑った先輩の名刺を差し出す左手がきらりと輝いたように見えて、目を凝らしそうになる。
俺の目線に気づいたのか、先輩が少しだけ時間をおいてから空気を吸う音がした。名刺を握る指先がわずかに震えている。
「……婚約してる人が、いるの。自分は誰かと人生を共にすることなんてないと思っていたのだけど、今の職場である人に出会って。その人と一緒に居る内に時間を共有できる相手が隣にいてくれるのはとても幸せなことだなと思って、気づいたら婚約まで来てたわ」
「ご婚約おめでとうございます」
彼女に向かって一礼すれば、先輩は頬を染めてはにかんだ。
「ごめんね、なんか惚気みたいなことを喋ってしまって」
「いえ、俺もその気持ちすごく分かるので」
「そう」
先輩はそれだけ言うと、口を閉ざした。
その人と一緒にいるだけで心のどこかがじんわりと温まるような、強張っていた気持ちも柔らかくなっていくような、そんな居心地の良さを感じられる相手がいてくれるだけで満たされるものがあるのだと。天道は、桜庭との時間を重ねていくうちに知った。その想いはきっと先輩も同じなのだろう。
「あ、変わらず名字で呼んでくれて構わないからね。メンバーの桜庭さんと同じ名前で少し恐縮だけど」
「そんなことないですよ。先輩は先輩ですし、あいつはあいつですから」
そう言って、カップの縁をゆっくりと撫でていると、先輩が「やっぱりね」と小さくぼそりと呟いた。
「……さっきから思ってたんだけどね、私の婚約者、天道君に少し似てるのかも」
「え?」
「熱血そうに見えて意外と冷静なところとか、目がぱっちりしてるところとか、他にもね……って時間! 私そろそろ行かなくちゃ」
ちらりと腕時計に視線をやった先輩が声に焦りを滲ませる。
彼女はカップの中身を一気に飲み干すと、荷物をまとめて席を立った。俺もつられるように、立ち上がる。
「ここで大丈夫よ、慌ただしくてごめんなさい。天道君も忙しいと思うけど、頑張ってね。これからも応援してます」
「ありがとうございます。……先輩、ご婚約おめでとうございます。それにお仕事の方でもこれからの更なるご活躍も応援しています」
「それは私の台詞! でも、ありがとう。またね」
桜庭先輩はふわりと微笑んで手をふると、俺に背を向けた。長い髪がさらりと左右に揺れている。
先輩の姿が見えなくなると、俺は自分の席へ戻った。
カウンターに置かれた『桜庭香』ときっちりした書体で記された名詞を眺める。
ふと、あのリングの煌めきが脳裏から離れなくなって、俺はそっと携帯の検索画面としばらく睨めっこした後、『婚約指輪 タイミング』と入力した。




その数年後の春、事務所経由で送られてきた俺宛ての手紙の一通に、ウェディングドレスを纏った二人の女性の写真が同封されていた。
手紙が送られてから数年経った今でも、俺は春になるとその手紙を度々読み返している。
自分の左薬指に煌めくプラチナリングと、黒髪で眼鏡の恋人の存在を愛おしく想いながら。

月詩ルイMini桜庭と俺と僕。

Mini桜庭と俺と僕。

桜庭会談

桜庭ABCが会談する夢の話

「君、交際相手がいるのか!? しかも天道だと…!?」 桜庭は立ち上がり、激昂した。
「そうか、欲に勝てなかったんだな」と桜庭Bは嘲った。
「フン……、どうとでも言うがいい。僕たちは僕たちの道を行くだけだ」、桜庭Cはそう言って顎を上げ、得意満面の笑みを見せた。
 桜庭Cは複数形を使ったが、この場に他の人間はいない。
 桜庭薫の顔をした人間が三人、真四角の白い部屋で、真っ白な円形テーブルを囲んでいた。
 考えるまでもなく、夢である。

 夢は夢として、と桜庭は左右へ目を配り、怒りを抑えて腰を下ろした。腹を立てたところでどうしようもない。
 おかしな夢だ。これは夢だと気づいているのに、さっさと目覚めるよう促すなどのコントロールは利かず、目の前の二人とただ会話をすることしかできない。しかも、話しているうちについつい夢であることを忘れ、現実にいるような気分になってくる。
 まあそれでも一人で何もない空間に押し込められているよりはマシだ。桜庭は仕方なく、同時に同意見へたどり着いた二人と無駄話を続けていた。夢ならいつか醒めるだろうと。
――だがもはや、一刻も早く醒めてほしい。 
 溜息を吐き尽くしてから、桜庭は右手側に存在する同じ顔の男を侮蔑混じりに一瞥した。
 ここまで確認した限りでは、BやCに桜庭との違いはほとんど見つからなかった。
 見た目はもちろん、生い立ちや趣味趣向、現在の年齢、――現在の、職業。
 最近あった、天道や柏木とのやり取りまで含めたすべてが、桜庭の記憶と合致した。
『このところ、なかなか二人では会えてない。致し方ないことだが寂しさというものはどうにもならないな』
 Cがうっすらと微笑みながら呟いた一言を皮切りに、衝撃の事実が判明するまでは。
 どういう意味かと問いただしたところ、Cはアイドルの身でありながら交際関係にある相手がいるというのだ。
 しかもそれは、信じられないことに、天道だと。

「……プロデューサーやファンは認めているのか……?」
 最も気になるのはその部分である。
 契約書に書かれていることではないのだが、アイドルというものは通念上ある程度の年齢に達するまで恋人を持つべきでないと桜庭は認識していた。ある程度というのがどれほどかは定かではない。しかし、デビューそのものが年齢的に遅めだった自分たちにはまだまだ先の話で、結婚願望もさほど高くない桜庭にとっては、仕事に関わらない限り考える必要すら感じない、埒外の問題だった。
 ゆっくりと差し向けた視線の先で、Cは桜庭薫らしからぬ顔で曖昧に笑み、そうだなと小さく言った。
「プロデューサーの理解は得ているが、ファンについては検討課題だ。僕は知らせないままでいるのがファンにとっても望ましいのではないかと考えているが、天道の方は将来的に公表したいと言っている」
「……」
 まったく別世界の話をしている。
 そうか。プロデューサーが納得してるのなら、とあらゆることが不可解ながらも呑み込みかけたところで、逆の方から口を開く気配がした。
「馬鹿な男だ」
 Bの方だった。
 桜庭Cが眉根を寄せて、「ああ」と低く相槌を打つ。
 遠い世界の出来事だとやや放心してしまった桜庭とは違い、桜庭Bは忌々しげに顔面を大きく歪めていた。
「夢くらい見せてやれとまでは言わないが、夢を見たくて見ているファンがそれなりに存在するということを、あの馬鹿はわかっていないのか」
「――うちのバカは、それ以上に現実味のない夢を見てるんだ。受け入れられるどころか、ファンを僕たちの幸福に巻き込めるはずだと。……諦めろと諭してはいるが、たまに僕も、同じ夢を見たくなる」
「馬鹿馬鹿しい」
「僕のことを言っているなら同意しよう。うちのバカと似合いだろう?」
「……。君はもう口を開かないでくれ」
「フン。いいだろう、君が二度と、うちのバカを馬鹿呼ばわりしない限りはな」
 BとCの言い争いに、桜庭は口を挟めなかった。
 そもそも、なぜ争うような流れになったのかがわからない。言い争いの中身も。
 他人の喧嘩なら仕事に影響が出ない限りどうとも思わないが、一応は同じ顔をしている者だからなのか不機嫌が伝播して気分が悪い。
 柏木もいつもこんな気分なのだろうか。
 だが、桜庭と天道との口論は大体において仕事絡みだから柏木にも理解できないはずが無いことで、そうでない場合はくだらないことで突っかかってきた天道に桜庭があれこれ言ってやっているだけだ。ほとんどは。考えてみれば今の桜庭にも、こいつらを仲裁しようという気など微塵も起きていない。
 柏木が言うに、桜庭と天道の喧嘩は――と、桜庭もうちの%V道について考えかけ、ふと、その可能性に思い至った。
「……交際相手はテンドウだと言うからあの天道のことかと思っていたが、天道についての情報はすり合わせしていない。ひょっとすれば別人の可能性もあるんじゃないか? 君たちが認識しているテンドウとテンドウも、同じ人物だとは限るまい」
 今のところそれらしい食い違いは出ていないが、あの天道と自分が交際していると考えるよりは、あの天道があの天道ではない可能性の方がまだ高く思える。
 わずかな希望を胸に問いかけてみると、先に口を開いたBが、Cの方を横目に見ながら言った。
「僕が認識している天道は、ユニットの仲間で、やたらと暑苦しくお節介な男だ。なぜか不思議と目を引き寄せるようなところがあって……いや、一般的に見て、アイドルらしい、それなりに見栄えのする顔立ちや体格をしているんじゃないか? 求心力もある。たまに作る飯の味は悪くなく、妙に癖になる味をしていて、また、食べたくなる。――君のところの天道はどうだ。ああ、極力、主観は省くように」
「……。そうだな、おおむね同じだが少々補足したい。まず容姿だが、客観的に見ても、天道は可愛げのある顔立ちをしている。本人が童顔を気にして顎髭を生やしているくらいにはな。髪は癖っ毛で少し固く、頭の上でよく毛束が跳ねている。内面も童心を残している部分があって、たまに呆れるようなことをやらかしたりもするが、普段はそれなりに頼れる男だし、周囲を巻き込んで場を盛り上げるのが上手い。緊急時の対応にも信頼が持てる。勢いで押し切ろうとすることの方が多いが、地味に策略を巡らせたり言語化能力の高さで押し込んでくる時もあるから、油断ならない相手でもある」
「ギャグはまだまだだがな」とB。
「僕もそう思う」と薫が頷き、Cですら一切の躊躇なく、「改善の余地しかない」と言った。
「……なるほど」
 意外と天道に対する印象は違わないのだな、というのが、双方からの話を聞いて第一に考えたことだった。特にCについては、眼鏡の矯正値を疑うような妄言が飛び出してくるものかと構えていただけに拍子抜けしている。
 それともちろん、根本的なことが一つ。ここにいる全員の知る天道は、あの天道で間違いない。赤の他人なんかじゃなく。
 桜庭は余計に落ち着かないような気分になりながら、ブリッジに指を当てて眼鏡の位置を微調整した。ならばなぜ、と。
「……あんな男のどこを気に入って交際相手に選んだと言うんだ、君は」
 無論桜庭とて、天道のことは嫌いじゃない。かなり癪だが、気に入っている人間の一人だと認めてやってもいいとすら思っている。付き合いも長く、気心は知れている。隣にいることが自然だということなら納得もできる。
 だが恋愛相手として認識したことは、ただの一度も無かった――はずだ。今、この時までは。
 Cの方へ間違いなく投げかけた疑問は、しかし思わぬ方向から返ってきた。
「どこが気に入ったというわけじゃないだろう」と。天道と交際しているCではなく、ほぼ同じ存在だと思っていたBの方から。
 Bの方を見ると、桜庭と同じ顔をしたその男はどこか遠い目をして、短く鼻を慣らしてからうわ言のように続けた。
「気に入っているだけの人間なら他にいくらでもいる。選べるものなら、天道など、真っ先に候補から外すべき人間だろう。業務上の不都合があるというだけでなく、あんな気の合わない、心安らかにいられないような男と、ただでさえ一緒にいることが多いのにこれ以上寄り添っていたいなどと、とち狂ったようなことを考える理由など……一つしか無い」
「……ああ。あとは腹を割るか、自分の想いから目を逸らし続けるかの二択になるな」
「あっちから拒絶される道は」
「生憎だな。うちの天道の話にはなるが、僕が自覚するより前から僕に惚れていた」
「…………」
「君はもう手遅れだ。僕の話を聞いてそんな目を晒すようでは、この先いくらも保たん。遠くない未来、君は諦めて受け入れるか君の天道に醜態を晒すかして、僕と同じ道を辿る。そして、いつしか、悪くないと思うようになるんだ」
「……最悪だ」
「ああ。それからそっちの君も……」

 BとCが、神妙な顔で話している。その光景はいつしか介入できないほど遠ざかっていて、姿も声も、徐々に曖昧なものへと変わっていった。
 白いばかりの床や壁にも青い黒が溶け込み、真っ暗な闇に消えて。


「…………、天道」
 覚醒した意識が、ただ一人のその姿と声を捉える。
 見慣れた男の顔だ。っていうかさっきまでいっぱい見ていた。めちゃくちゃ男前で、やたらと綺麗で、笑うと結構可愛くて。
「――だよな、本物の」
「っなんだ、起きたのか」
 少し上ずった声を聞きながら、ずり下がってた腰を引き上げ、背を伸ばして座り直す。それから欠伸を一つ。  真隣には桜庭、その向こうには翼。寝てるけど。で、
「俺は天道輝。合ってるよな?」
「……寝ぼけているだけか。じっと見てくるから何か言いたいことでもあるかと思えば」
 はあと呆れたように息を吐いた桜庭だったが、見ていたのはむしろ桜庭の方だ。瞼を開いた瞬間から見られていたし、天道の意識が整うまでの間も視線を外さなかった桜庭は、どこか夢見るような顔つきをしていた。白昼夢でも見ていたのかもしれない。じゃなきゃ、この顔を見てそんな顔になっていたか。
「……なあ桜庭、俺の顔どう? イケてる?」
「なんだ急に。……どうといわれても。一般的に見て、アイドルらしい、それなりに見栄えのする顔立ちをしていると思うが?」
「それだけ?」
「それだけだ。それがどうした」
「いや、こないだの飲み会んときはもうちょっといいこと言ってくれてたんだよ。顔のことだけじゃなくてさ、色々、俺のこと話してくれてた。覚えてるか?」
「――。酒の席のことなど忘れろ。東京に着くまでいましばらくある。休める時間はまだあるが、さっさとその腑抜けた面をどうにかしておくように」
――ああ、移動中だったっけ。
 天道は向こうを向いてしまった桜庭から目を逸らし、首ごと動かして明るい方へと顔を向けた。
「いまさ、夢、見てたんだよ」
 目まぐるしく、外の景色が移り変わっていく。
 桜庭もそう。知らないうちに変わっていく。
 瞬きをする毎に消えていってしまう夢の断片を、天道は一度そのまま流してしまおうと考えたが、夢に見るほどの強烈な欲求に抗えず意識の手を伸ばした。掴み取ったそれを言葉という形にして取り出す。
「おまえと俺との将来を、夢見てた」
「……一人で勝手に見ていればいい」
「やだよ。おまえと見てえもん」
 誰でもない、本物のおまえと。





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